わが偏愛的艶歌痴話1 Puffy
月曜に久しぶりにテレビで見た(『英語でしゃべらナイト』)記念にパフィー。
この番組に呼ばれたのはもちろん今アメリカでアニメで人気だというから英語つながりで
ということなわけだが、台本どおりなのかあるいはパフィーだからなのか、この番組で
これほど英語を使いたがらないゲストはかつてなかった。NHKはトーク番組でも細部まで
台本で決めてあるというが(NHKに限らないだろうが)、いずれにせよ普通なら企画失敗と
なるところが、パフィーの場合はこれでこそ成功となる。つまり「アメリカに進出して成功
したなんてことに当人たちは全然実感持ってないから、即英語使ってみろとか言われても
困る」というスタンスをアピールできるわけだ。これが同じ進出アーティストでもたとえば
ドリカムとか久保田利伸とか松田聖子だとこうはいかない。アメリカに渡るために猛烈に
英語勉強した人たちだから、勇んで使いたがるはずだし、またそうでなければ番組としても
困るわけで。いわんやネイティヴに近い宇多田ヒカルにおいてをや? しかし悲しいかな、
そういう人たちのだれ一人としてパフィーほどの成功をおさめられなかった。そのへんの
比較論みたいなことを辛酸なめ子がどこかでかなり精緻にやっていたが、要するに
その人たちが巧くいかない最大の原因は、〈真っ向勝負で正々堂々と挑もうとしてる〉
ところにある。いや、その意気自体はいいだろう。日本での名声とか戦歴といったものを
すべて捨てて、単身NYの坩堝に身を投じ、ゼロからスタートするってことをみんなやってる
わけで、それでこそ価値があると思ってるから、たとえば坂本九や今度のパフィーみたく、
日本での既製品で勝負したくはないというわけだ。非常な正論ではある。だが悲しいかな、
それが彼らの建前のみになってしまってて、実際にはあまり〈真っ向勝負〉してないという
ふうに、筆者には見えて仕方がない。つまりプロスポーツ界とくに野球などでよく言われる
ことだが、退路を断っていないんだな。その証拠に、彼らは日本に帰ってくると必ずアメリカ
での苦労の愚痴を言う。ドリカムはMステで「向こうじゃ日本人てことでバカにされてなかなか
認めてもらえなかった」みたいなことをタモリ相手に平気でしゃべってたし、久保田もつい
一昨日新潟ローカルの番組で「自分の曲が一つラジオでかけてもらえただけでどれほど嬉しいか」
と真顔で詠嘆してた。そりゃ彼らの言うとおりには違いなかろうが、たとえば野茂なら絶対そんな
愚痴は言わないはずだ。渡米して間もないころの野茂にパンチ佐藤がインタビューして「きみは
日本の代表だよ」と言ったら「いや、そんな考えは持っちゃだめだ」と即答し、「じゃアジアの代表
か」と粘っても「いや、どこかの代表とか思ってたら絶対生きていけない」としつこく答えていた
が、違いはそこにあるだろう。野茂は最初から退路を断ってるが、たとえば新庄は断つはずも
なかったし、(イチロー・松井はまだよくわからないが)ドリカムや久保田にいたっては(おそらく
宇多田も)覚悟が薄弱すぎる。久保田は「何年も日本留守にしてたのにまたCD出させてもらえる
のがほんとにありがたい」とも言ってたが、そんな退路を留保しときながらNYでも真っ向勝負
なんて都合のいいことができるはずがない。…
などとついそこへの文句が長くなってパフィーに触れずに終わりそうだ。ひとつだけ言えるのは、
亜美のほうは実は英語の専門学校出てて日常会話程度はしゃべれるのだが、中卒ヤンキーで
からきしお勉強のダメな由美にあの場は合わせたということだ。しかし彼女たちの場合そうした
ことが片方の譲歩ではなく(つまり逆のケースもある)、そうあることこそがパフィーだという
ことを、二人ともわかってる、しかもアタマでというよりカラダでわかってるということなのだ。
詳しくはまたの機会にしよう。上に挙げた絵はツアーやクリップのDVDの主なものだが、他に
北米ツアーの模様を収録した Rolling Debut Revue CANADA USA Tour 2002 もあって、
これは必見だ。パフィーが向こうでなぜ受けるかどう受けるかが論より証拠でわかる。