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洋画家たち百年の夢

natsukikenji2007-07-26

於・新潟県立近代美術館『パリへ──洋画家たち百年の夢』。
前にも書いたとおり絵画には全く疎いが、この展覧会は妙に客の入りが絶えないなと気になっていた。入ってみるとたしかに駐車場の車の数は伊達じゃなく、実際に人が多かった。平日でこれなら、週末には「ごった返す」という状況かもしれない。企画展はモノによってはガラガラの場合もあるが、巧く当たればこんな風に盛況になる。にしてもこんな田舎の住民がよく大挙してこんなアカデミックなもの飽きもせず見にいくよな。そこが不思議ではある。
今回のは東京藝術大学創立120周年という絡みらしく、明治29年にパリ帰りの黒田清輝が前身の東京美術学校で絵を教え始めて日本の洋画が復興し始めた前後(その前には弾圧と排斥があった)から遠く現代にまで至る日本洋画史の流れを概観するもの。そんな壮大なテーマにもかかわらず展示数は限られてるから、当然ごく大雑把な概観なんだろうが、その分われわれ素人にはわかりやすくなってる。パンフの解説によれば、初期洋画史には黒田に端を発する東京美術学校の流れの他に、工部美術学校というところを端緒とするもう一つの派があって、浅井忠や小山正太郎(長岡出身)らが草創期をなしたが、浅井忠も結局のちに東京美術学校に属し、しかし黒田と対立しそうになったのでパリへ渡り、帰国後には京都に移って後進を指導した(梅原龍三郎安井曾太郎を輩出)というから、やはり二大派閥ではあったということのようだ。しかし黒田も浅井も小山もみんな生まれは江戸時代なわけで、そんな頃の人々が洋画ってものを目指してパリに渡ってたというのはなんか凄いことだ(黒田は9年も滞在した)。
展示作では黒田派(白馬会)の中では黒田自身の「婦人像(厨房)」(ポスターに使用)や和田英作「渡頭の夕暮」が目立った。とくに後者は学校の教科書あたりで見て以来印象にあったから妙に感動した。浅井忠では「収穫」が日本の農村風景を驚くほど写実的に捉えてるが、その一方で「蝦蟇仙人之図」という日本画風の掛け軸を描いてて、これがその名のとおり蝦蟇蛙を頭に乗せた奇っ怪な仙人の絵で面白い。洋画の祖の特異な一面てところか。
その後の大正〜昭和の時代に移ると、佐伯祐三藤田嗣治小出楢重小磯良平岡本太郎といった有名どころが並ぶ。ここにくると、なるほど客が多いのはこのせいかという気がしないでもない。つまり数は限られていてもこのあたりの人気画家の作が一堂に会する機会はそうないから見ておこう、ということなのかもしれない。因みに佐伯の有名な「広告塔」はこの県立近代美術館の所蔵品で、二階のレストランの名前はそれに因んで<広告塔>になってる。ただ展示作では藤田も小出も小磯もそれぞれの「自画像」が一番目立ってような気はする(佐伯にもあり)。岡本のは「爆発」したやつばかりでよくわからないが、例によって「太陽の塔」っぽいイメージは見てとれた。
佐伯は「日本には僕の描きたい風景がない」といって再渡仏して客死したというが、そういう思いは彼の絵のあの激しいタッチにやはり出ているんだろう。でもその一方で浅井忠や和田英作のように草創期からすでに洋画ながらも凄く日本的な絵を描いてた人たちがいるのを見ると、いつの時代も海の彼方への憧れと此方への回帰ってのはあったのかなと思える。なんてところを無理やりまとめにしておこう。