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阿久悠

北の宿から/大阪しぐれ 津軽海峡・冬景色/能登半島
ズーニーブー「白いサンゴ礁」、森山加代子「白い蝶のサンバ」、和田アキ子「笑って許して」、北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」、尾崎紀世彦また逢う日まで」、藤圭子「京都から博多まで」、森昌子「せんせい」、内山田洋とクールファイブ「恋唄」、ペドロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」、夏木マリ「絹の靴下」、堺正章「街の灯り」、フィンガー・ファイブ「個人授業」、佐々木功宇宙戦艦ヤマト」、岩崎宏美「ロマンス」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」、都はるみ「北の宿から」、森田公一とトップギャラン「青春時代」、ピンクレディーペッパー警部」「UFO」、石川さゆり津軽海峡・冬景色」、郷ひろみ樹木希林「林檎殺人事件」、大橋純子「たそがれマイラブ」、八代亜紀「舟唄」「雨の慕情」、五木ひろし木の実ナナ「居酒屋」……


阿久悠氏逝去。
こうして見ると、「舟唄」まではすべて七十年代の歌だ。よくいわれることながら、やはりあの十年が昭和の、というか日本の歌謡曲の黄金時代だった。八十年代半ば以後にも阿久は「熱き心に」など印象的なヒットを出してはいるが、でもやはり絢爛たる「歌謡曲」の記憶に入ってくるのは「雨の慕情」あたりまでだ。いい換えれば、あの伝説の『ザ・ベストテン』(久米&黒柳版の)に毎週目と耳を釘づけにされた時代だ。あの番組開始前にパイロット版的な回が一度あって、そこで前年の年間ランキング1位が「青春時代」であることが紹介され、ラストで森田公一とトップギャランが生で唄ったのを憶えてる。その意味で『ベストテン』はまさに最初から阿久悠とともにあったといえる。レコード大賞を「また逢う日まで」「北の宿から」ですでに二度獲っていたが、『ベストテン』時代に入って「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」でさらに三度獲り、都合五度は作詞家として史上最多。だが八十年代に入り、七十年代に阿久と都倉俊一のコンビが大スターの座に押しあげたピンクレディーに代わって松田聖子が登場すると、その実質的なプロデューサー的役割を果たした松本隆の時代へと急速に移行していった。その意味で当時阿久にとって松本が時代的にも最大のライバルだったんじゃないかと思う。因みに作詞した楽曲のレコード総売り上げは阿久が6000万枚以上(歴代1位)で、松本はその約半分の3000万枚台。また松本のレコ大は「ルビーの指環」の一度のみ。


以下、阿久悠作詞曲の個人的ベスト11(順不同)。
ペドロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」(勤め人時代に宴会でカラオケなしで唄った、当然ハズしまくったが) ●尾崎紀世彦愛する人はひとり」(尾崎ではこれが好き。曲がいいためもある) ●沢田研二「時の過ぎゆくままに」(沢田主演・久世光彦演出の連ドラ『悪魔のようなあいつ』の印象的な主題歌。断片的にしか見てなかったため最も見直したいドラマになってる) ●都はるみ「北の宿から」(唸りを廃して淡々と唄った名歌唱) ●大橋純子「たそがれマイラブ」(阿久悠筒美京平という昭和歌謡最強タッグの最名曲) ●チェリッシュ「若草の髪かざり」●あべ静江「コーヒーショップで」(当時アンノン族という風潮があって、この2曲はあの時代の雰囲気にぴったりくる) ●森進一「甘ったれ」(今ではカラオケにも入ってない無名曲だが、個人的に森進一の中で一番好きな歌。作曲アダモ) ●森昌子彼岸花」(前に書いたが森昌子の中でフェイバリット) ●沢田研二「ラブ(抱きしめたい)」(阿久による沢田研二はすべて名曲だが、これは「勝手にしやがれ」に続いて沢田がレコ大連覇を目指しながらピンクレディーに敗れ涙を呑んだ勝負曲。敗れた直後の紅白で大トリをとった。因みにそのときの赤組トリは山口百恵) ●ピンクレディー「UFO」(その年沢田の連覇を阻んでレコ大曲となったため、皮肉にも作詞家阿久は結局連覇を果たした。といっても選んだのはそのためというより、詞のテーマの壮大さや幻想性、また都倉によるソウルフルな曲のせいでピンクの中ではぴか一だから)


スポニチに『阿久悠の昭和ジュークボックス』という週一の連載をつい最近までやってて、茶店でいつも愛読してた。芸能欄の一ページ全面を使い、カラー&写真入りで自作曲成立の裏話とそれに絡む時代背景などを語って興趣満点だった。その一番最近の回が絶筆になったらしいが、とてもそんなすぐ亡くなるようには思えなかった。
ご冥福をお祈りします。