.

新潟県央工業高校

地元長岡の高校じゃなくてもつい見てしまうのが夏の甲子園の県校戦(春に出ることは滅多にない)。8/3(日)、新潟県央工は1回戦・対報徳学園で2-4惜敗し、県版スポニチは1面で大報道した。

「97年分の大健闘」というのは統合前の三条工の前身三条商が1911年創立で、以来97年の伝統があることを意味する(2004年燕工業と統合し県央工に)。だが甲子園では初出場の無名校でおまけに最弱県(春夏通算18勝で最下位)、どれだけ健闘しようが全国面では当然ながら名門報徳(優勝歴あり)の引き立て役になってしまってる。それも下手に(というと語弊があるが)ほんとに健闘しただけに余計に格好のカモになった。見出しは「いきなり真骨頂!9回2死出た〈逆転の報徳〉サヨナラ弾!」。
県央はセオリー戦法が当たってスクイズ&ヒットで2-0リードしながら、しかも相手を4回まで無安打と焦らせながら、継投時と最終回に2本塁打浴びて劇的逆転敗け。新潟あたりの県大会は自前の勝ちパターンで切り抜けられても、全国レベルでは結局こうなるという見本のような試合だった。報徳の近田は注目投手の1人だが安打数は県央のほうがまさってたし、サヨナラ弾打った4番は県大会(東兵庫)じゃ1度もホームラン打ってなかったそうだ。それでも勝ってしまうのは、ここぞで底力を発揮できる本物の強さがあるってこと。無論勝敗は時の運で逆の結果になることもあり、だからこそ実戦という手続きが必要とされてるわけではあるが(オリンピックがその最たるものだ)。
県央鈴木監督(長岡の強豪中越高の元名物監督鈴木氏の子息)は最後敬遠も考えたが敢えて勝負に出てやられたらしい。こういう舞台でこういう相手とやるときはそれで正解だろう。思い出すのは92年、長岡向陵が1回戦で松井のいる星稜相手に敢えて真っ向勝負して0-11で惨敗したときのことだ。星稜は次の2回戦でシード校明徳義塾に例の5連続敬遠されたが、あのとき当日の夜のニュースで向陵の潔さに触れてたのは筑紫哲也だけだった。つまり批判はされても記憶と歴史に残ったのは名徳であって、向陵なんて今じゃ誰も憶えちゃいない。まして今年の県央なんて何をかいわんや。それでも新潟の無名校たちは自分ららしくやってくだけ、やっぱそれでいいんだろうな。