『ヘルハザード──禁断の黙示録』
ここ→http://d.hatena.ne.jp/natsukikenji/20091221 で触れた故ダン・オバノン監督作『ヘルハザード──禁断の黙示録』を観直し、と同時にこの際その原作も再読した(訳書は国書刊行会版『定本ラヴクラフト全集』第4巻所収「狂人狂騒曲──チャールズ・デクスター・ウォードの怪事件」小林勇次訳)。
…ということで、まずはYoutubeにあがっていた予告篇を↓。
Youtubeには他にも奇特なHPLファンの人がこの映画の全篇(と思われる)を分割してUPしていたが、それはともかく…
神を冒涜するおぞましい実験を繰り返す男の背後にはある奇怪な先祖の存在が仄見えて…というのが原作の大枠だが、この映画をあらためて観てやはりそうした大枠と雰囲気とをかなり巧く伝えている作品であることを確認できた。といっても個人的には「映像作品は原作に忠実なほどいいに決まってる」などとは全く思っていないし(というよりむしろ作品として別物である以上違ってて当然と思ってるほうだ)、この映画も実のところは原作の「大枠」こそ辿ってはいるものの、時代設定はじめ多くの要素が変更されたり省略されたりアレンジされたりしている。にもかかわらず総体として「原作にかなり忠実」という印象を与えるのは、とにかくホラー映画として傑作である(駄作だといくら忠実でもそういう気がしないのが人情?)のと同時に、他でもないその「傑作」である要因がラヴクラフトのホラースピリットを巧く活かしてる点にあるからだろう。ではそのスピリットとは何かとなれば、簡単にいうのは手に余ることだが、それを承知で敢えて乱暴にいってしまえば、人間にはどうすることもできないあまりにも深遠にして遠大な絶対悪に翻弄される運命の恐怖、というようなことになるだろうか。所謂クトゥルー神話の根っこもそこにあり(ラヴクラフト作品の意味をそこへ纏めてしまうことの是非はさておき)、事実この映画も原題こそThe Resurrected(蘇る死者)だが、実は死体蘇生の即物的な恐怖以上に、そういう恐ろしい行為を「運命的に」人間に強いる深遠にして遠大な「何か」への恐怖が原作の眼目であることを映画の創り手が理解しているのが伝わってくる。つまりはダン・オバノンが相当のラヴクラフティアンだってことだが、それはひいてはあの超有名作『エイリアン』の底辺にも実は同じスピリットが密かに深く埋められていることを意味する──んじゃないかと思う。
なお原作The Case of Charles Dexter Wardは作者ラヴクラフトの生前には日の目を見ず死後初めて活字化された。邦訳の『定本』版邦題『狂人…』は先駆的紹介者平井呈一が嘗て案出した訳題を借用したもの。別訳には創元推理文庫版『ラヴクラフト全集2』および新人物往来社版『怪奇幻想の文学3 戦慄の創造』所収「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」(宇野利泰訳)と、青心社文庫版『クトゥルー10』所収「チャールズ・デクスター・ウォード事件」(大瀧啓裕訳)の2種がある。
↑『定本』の箱装画は『エイリアン』のモンスター造形で名を馳せたH・R・ギーガー(やはり熱烈なラヴクラフティアンとして知られる)。