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千街晶之『幻視者のリアル』

千街晶之『幻視者のリアル──幻想ミステリの世界観』(東京創元社キイ・ライブラリー 2011/3月刊)。

探偵小説研究会VS逆密室という構図がある──などというあまりたしかな根拠もないことを数年前に密かに漠然と思っていたが、今現在もミステリ批評業界の状況を詳しく知ってるわけじゃ全然ないので迂闊なことは言えない。ただ、ふた昔ほど前「読め読め読め!」とか「人間が描けている」とかいったたぐいの今となっては懐かしいほどに空疎な用語ばかりが幅を利かせていた時代のかの業界の有様に嫌気がさしていた者の一人としては、その後の探偵小説研究会の発足と活躍に象徴される新たな動きに密かに期待を寄せてきたものの、皮肉にもその「新た」だったはずの流れもいつしか「大量死」「本格ミステリのコード」「後期クイーン問題」等々の今となっては既に陳腐(と敢えて言ってしまおう)にさえ思える用語の世界をいつまでも引きずるような状況となっていったことにいささかの失望を覚え、そんなとき恰もそうした思いを汲むかのように出てきた逆密室の動向にまたも密かな期待を寄せ始めた…という私的な心の変遷があったのはたしかだ。そうした状況の中でも千街晶之はその〈VS構図(?)〉の〈双方〉から認められている批評家の一人だと思う──というより千街は当初から借り物でない独自の批評精神を持っていたのであり、数年で〈陳腐〉になるような位置には最初からいなかったと言うのが正しい。だから〈VS構図〉などが本当にあるかないかに係わらず千街氏への期待はずっと抱き続けてこれたし、そもそも小生ごときが期待するなどとおこがましく言うまでもなく氏の活躍は一貫してあまりにも目覚しくてまさに瞠目すべきものであり続けている。『水面の星座 水底の宝石』の推協賞&本ミス大賞受賞、大労作『本格ミステリ・フラッシュバック』(http://d.hatena.ne.jp/natsukikenji/20081228)の編纂etc…。
前振りが長くなり過ぎたが、この『幻視者のリアル』はそんな千街氏のこれまでの文庫解説・雑誌掲載文等を集成した評論集。但しタイトルから察せられるように──というより序文冒頭にあるとおり「主に幻想ミステリをテーマにした原稿をまとめたもの」だ。ここで注意すべきは──というより中味を読めば自明なことだが──「千街晶之はミステリより幻想小説のほうが好きなのだ」とか「そっちへ転向したのだ」とかいうようなわけではないということ。つまりこの著者にとっての幻想文学とミステリは別に二項対立したりどっちがいいとか悪いとか言ったりするたぐいのことではない。それは序文でさらに続けて「とくに新本格以降幻想ミステリの作例が急速に増加したという状況」を反映し「本書はミステリの背景となる世界観の変容の観察記録とも言える」と述べているところに既に現われている。採りあげている作家は中井英夫赤江瀑皆川博子・竹本健冶・井沢元彦井上雅彦山口雅也綾辻行人恩田陸篠田真由美浦賀和宏佐々木丸美岩井志麻子北山猛邦飛鳥部勝則道尾秀介沼田まほかる・他々…に加えて松本清張の異色作まで紹介している。また海外作家もヘレン・マクロイやブラッドベリ等々の他ダン・ブラウン『天使と悪魔』の文庫解説まである(唯一残念なのはスレイド『髑髏島の惨劇』に寄せてくれた解説が入っていないことだが「過去の原稿総量の半分以下しか収録できなかった」(あとがき)というから仕方ないかも)。解説の再録にしても当該書の紹介だけでなく(当然とはいえ)全て作家論にまで踏み込んでいるので、〈幻想ミステリ〉という観点の歴史的重要性までが浮かびあがってくる。そういう面での総論的な意味合いで言えば、都市伝説などへの興味深い言及を交えての精緻な論考「日常と幻想のグレーゾーン」(同人誌《CRITICA》初出)がとくに示唆的だ。その中で著者はSF作家新戸雅章の唱える〈対象化された世界〉対〈生きられた世界〉という概念(判り易く言い換えれば理論世界対経験世界、あるいはもっと端的に合理対非合理と言えるかもしれない)を援用し、反リアリズム志向のように見える幻想ミステリが実は逆説的にリアリズムを追求するものであることを説き明かす。この部分は本書のタイトル〈幻視者のリアル〉に直結するように思う。またミステリとホラーを〈全く均等に〉愛好する作家三津田信三を巡る一文も個人的にとくに目を惹いた。「謎解きを主眼にした本格ミステリというジャンルに潜む恐怖という心理的背景」の「メカニズムを恐らく誰よりも熟知している作家」こそが三津田だとしているが、それは実は千街氏自身にも当て嵌まる。本格ミステリの持つホラー的側面をこれほど重視している評論家は他にいないし、ミステリとホラーを〈全く均等に〉愛好している点も(のみならず古今東西諸分野への博覧強記さにおいても)まさに三津田信三に通じる。なお本書カバーの装画を嘗て中井英夫の著作や『幻想文学』誌の表紙を飾った幻想画の巨匠建石修司が描いているのは著者がとくに希望してのことという。
千街さんありがとうございました!
幻視者のリアル (幻想ミステリの世界観) (キイ・ライブラリー)