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末國善己『時代小説で読む日本史』

末國善己『時代小説で読む日本史』(文藝春秋2011/3月刊)。

本書は『オール讀物』誌での連載をまとめたもので、「歴史上の人物が時代が移るたびに変化していくプロセスをたどることで、作家が時代をどのようにとらえ何を問題にしたのかを明らかにすることを目的とした」(まえがきより)いわば連作評論集だ。章ごとに各一人の人物(もしくは一つの集団あるいは群像)に焦点を絞り、歴代の作家たちがその人物をどう解釈・評価しどう物語化していったかを説くと同時に、その解釈・評価・物語化が作品の書かれた時代(即ちそれぞれにとっての〈現代〉)に対する作家自身の向き合い方によってどう異なりどう変遷してきたかを論じていくのだが、なんといっても注目すべきは、作家・作品・歴史人物を〈時代〉で照射しての分析の部分がハンパなく緻密で具体的で説得力に富んでいることだ。歴史上の英雄たちがのちの時代状況や作家の考え方によって正義とされたり悪となったりという変転は当然のごとくあるわけで、正悪相半ばする足利尊氏楠木正成後醍醐天皇ら『太平記』の群像、あるいは謀略好きの狸親父か否かの徳川家康、嘗ては海軍軍神だった坂本龍馬など、見方によってその姿までガラリと変わる人物は数多いが、その変化を必然的に促す力を〈時代の無意識〉と名付けて逐一論証していく末國氏の手腕は流石と言うしかない。例えば戦国武将中でも近年大人気の織田信長の章では、戦後の飛躍的復興が頂点に達した60年代に近代的合理主義者の遥かな先駆としての信長を描いて信長ブームの原点となった坂口安吾『信長』に始まり、日本経済がわが世の春を謳歌した80年代に先見的な開発促進者としての信長を描いた津本陽『下天は夢か』を経て、バブル崩壊後は改革を掲げる新たな指導者像としての信長が池宮彰一郎『本能寺』によって描かれるが、著者は改革者信長へのアンチテーゼとして岩井三四二『十楽の夢』という一向一揆勢力視点の作品を採りあげ、「最大業績とされる楽市楽座も実は時限立法に過ぎなかった」として信長改革の〈闇〉を掘り起こす観点に注目し、そこに地方や弱者を切り捨てた小泉純一郎の改革を重ね合わせる。小泉が信長の信奉者であることを思い合わせれば極めて示唆的だ。また直江兼継の章では意外なほどにも数多い兼継物の小説群での毀誉褒貶の様が一地元民として興味深かった。事ほど左様に大河ドラマを通じてしか歴史を知らない超庶民としては、歴史小説・時代小説で英雄たちに触れることの重要性をあらためて教えられる一書だった。あとがきでは戦後文学史でも未だ顧みられない〈占領期文学〉を研究したいとの真摯な宣言があってこれも期待される。なお本書は連載中に亡くなられた著者のご母堂に捧げられている。
それからこれはお世辞でも何でもない個人的感想だが、この力作は推理作家協会賞に値して余りあるんじゃないか。もう会員じゃないので推薦もできないが…






余談だが鮎川賞などで末國氏と千街晶之氏と小生の三人が寄ると必ず大河&連ドラの話題に興じるのが常だったが、最近上京できずご無沙汰なので今年は何とかそういう機会に恵まれたいと思ってる。期せずして昨年同じ月に両氏が傑作評論を刊行したのもいい機運じゃなかろうか。
というわけで末國さんありがとうございました!
時代小説で読む日本史