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怪奇幻想系の個人作品集&名作傑作集成

怪奇無尽講 燦めく闇 日本怪奇小説傑作集1 (創元推理文庫) 日本怪奇小説傑作集 2 (創元推理文庫) 余は如何にして服部ヒロシとなりしか (角川ホラー文庫)
怖さのよき伴侶はやっぱり〈懐かしさ〉であるようだ。怪奇は懐旧。なんてね。
とにかく、その両者の関係が今の日本ではとても蜜月的で、いい状態にあるようだ。
京極夏彦が出てきたころからだろうか? アメリカあたりだとその両者の関係が
かなり前からうまくいかなくなったままで、それがホラーが衰退した一因になってる
ような気がするが……
飯野文彦『怪奇無尽講』(双葉社)。〈懐かしさ〉はたとえば〈土俗〉にも変換できる
だろう。ここでは相当にエロチックで且つグロテスクな日本の土俗が語られる。
なかでも巻頭の「近親相岩」のそれは強烈だ。しかもそういう即物的な想像力の
エネルギーだけじゃなくて、叙述(語り方)の技もよく効いている。怪談の内と外が
かかわりを持ってくる百物語風趣向。「鯉の赤不浄」とか「かえる男」とか、霞流一
風の各篇のタイトルも面白い。
井上雅彦『燦めく闇』(光文社)。「異形コレクション」等に入れた自作短編集。
この作者といえばもう懐かしさの権化のような作家だ。身近な懐かしさ(少年期の
昭和の風景とか)を描いても筆の活きる作家だが、このたぴは図らずもか、帯で
皆川博子が「かくも華麗」と言ってるとおりの、豪華絢爛とした懐かしさが
揃ったようだ。映画と貴族趣味とが混交した「化身遊戯」はその最たるところか。
黒一色の装丁だが、各篇は「赤とグリーンの夜」「白い雪姫」「青頭巾の森」と
カラフルなのも楽しい。思えば「異形」シリーズもこの人の懐かしさを創り演出する
才に呼応する作家たちが書き継ぎつづけているということだろう。
紀田順一郎東雅夫編『日本怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)。この版元にこそ
ふさわしい決定版的企画。編者もまさにはまり役の先達と後継の両雄。
おおむね時代順のようで、『1』では明治期からのすごい文豪たちがずらり並ぶ。
『2』では『新青年』などで活躍した探偵作家たちから山周・山風など大衆小説の
大家たち。ここで〈懐かしさ〉などとあえて言うのはある意味野暮かもしれない、
過去の名作傑作群なのだから、時代を感じさせる匂いは当然のこととして横溢してる
わけで。でも実はそこに大きな意味はやっぱりありそうだ。昔の作家は当然今現在の
時代の空気を承知して書いてるわけじゃないから、そこに伴う懐かしさは〈図らずも〉
残されてるものなわけで、それが今現在にまで働きかけるってことはそれ自体
なんだか怖いことで、つまりだからこそ名作傑作として強く残ってくるのだろうと。
今を生きるわれわれはそれを範として〈新たな〉懐かしさ?を創っていく、ということ
じゃないかと。『1』の村山槐多「悪魔の舌」はやはりすごいが(鮎川編『怪奇探偵
小説集』で初めて読んだ)、田中貢太郎「蟇の血」もなかなかすさまじい。『2』で
映画にもなってるというの円地文子「黒髪変化」は発掘作らしいがいい味があるし、
山本周五郎の名作「その木戸を通って」は叙述も巧みでミステリ的な不思議さがある。
なお稲垣澁澤中井などを収めた『3』もすでに出ている。この固め打ちさ加減がまた
すごい。
最後に、ホラー小説大賞短編賞作(表題作)の入った、あせごのまん『余は如何にして
服部ヒロシとなりしか』(角川ホラー文庫)。「異様に気に入った」という荒俣宏
ポツリとした帯が気になって手を出してみた。こりゃなかなか異様に気に入った。
飄々としてるかと思えば妙に緻密だったり。表題作と「克美さんがいる」は○○系で
面白いし、筆名由来とおぼしい「あせごのまん」は方言が可笑しい。とにかくこの人も
まちがいなく新たな懐かしさを創ってるな。
思えば近年の日本ホラー映画の隆盛の先駆けになった『女優霊』でも、あの霊体
以上にあの不思議な作中映画の懐かしさが妙に怖かったし、『リング』シリーズでも
貞子以上にその母親の懐かしい鏡映像が怖かったような……