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花火

唐突に日記タイトルを変えた。

山下清 作品集 2004年度カレンダー
61年前の昭和20年8月1日午後10時半、米軍による長岡空襲が始まった。
1時間と経たずして市街地の8割が破壊され、約1500人が死んだ。
あとは一面の焼け野原となり、信濃川をはじめとする河川には無数の死体が浮いた。
数字上の規模においては広島長崎東京には較ぶべくもないが、当時の惨状はそれらに
匹敵したと伝えられる。この長岡空襲は世間的にはあまり知られていない事実だ。
またここが選ばれた理由の秘められたひとつとして山本五十六の出身地だったから
ではないかとの疑いがあること、また試験的な模擬原爆がここに実際に投下された
ことは、もっと知られていない。
1日には毎年慰霊祭が催され、2日3日には大花火大会が行なわれて、犠牲となった
人々の霊を今に華やかに慰める。2日間で100万人の見物客動員を見込む。また今年は
4日に「世界の花火ショー」もあり、米中韓の花火師が参加する。
長岡の花火は全国的にも最大級の規模で、技術的にも三尺玉など他になく優れているが
(ロサンジェルス・オリンピックの閉会式を締めくくったのは長岡の花火だった)、
その割に有名ではなく、いまだ知る人ぞ知るの域を出ない。放浪の画家山下清
有名な花火の絵が、実際に見た長岡花火の記憶をもとにした精細な切り貼り絵である
こともまたあまり知られていない。
近年亡くなった翻訳家の大村美根子さんと初めて知り合ったとき、上田公子さんらと
一緒に長岡花火のツアーに参加したことがあると話してくれたのを思い出す。
合掌