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良寛に妻?

良寛さまってどんな人
9/17新聞によれば、あの良寛に妻がいたことがわかったという。
以下引用(読売)。


生涯独身を貫いたとされる江戸時代の禅僧・良寛に妻がいたことを、良寛研究家の冨沢信明・元新潟大経済学部教授(64)が、良寛の生家に伝わる系図をもとに立証した。
 良寛の遺徳を顕彰する「全国良寛会」によると、これまでも良寛の妻帯説を唱える研究者はいたが、史料の裏付けがなく、研究者の間では「生涯独身」が通説となっている。
 冨沢さんが着目したのは、良寛の出身地、新潟県出雲崎町の生家・山本家に伝わる「山本氏近世歴代之家譜」。調査の結果、表紙には「慶応二年」(1866年)と記され、良寛の死から35年後に作成されたとみられる。歴代の当主夫婦と子供の戒名が記載され、夫婦は「夫、妻」の順で書かれていた。


良寛といえば晩年の貞心尼の通い愛が有名だ。長岡に住んでいた貞心尼は
五合庵(弥彦に近い山中)に住む良寛が病気になると、毎日徒歩で往復して
看護したという。気が遠くなるような話だが、毎日なら泊まり込みにすればいい
じゃないかなんていう安易な考えを屈服させるほど強い純愛、というか畏敬
だったということだろう。その良寛に妻子がいたとなると、貞心尼とともに
語られる際の語られ方が微妙に変わってこざるをえないんじゃなかろうか。
今まではまるで夫人然としてたのが、肩身の狭い描かれ方になったりして…
因みに五合庵は今も残り、筆者は何度となく訪れてる。長岡には貞心尼の庵も
復元されてて一度だけ行ってみたが、観光客の絶えない五合庵に比して人知れず
ひっそりしてた。
なお平成の大合併の際、良寛ゆかりの出雲崎町・和島(わしま)町・三島(みしま)町
は当初良寛町を作る算段だったがなぜか合意できず、結局和島・三島は長岡市
編入、出生地の出雲崎町は単独でそのままという結果になった。