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『シンギュラリティ・スカイ』あるいはクトゥルーSFへの夢

シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)
チャールズ・ストロス作。6月刊行なので今採りあげるのは遅きに失してる感があるが(汗)、自分が今別名でやってる、というかもうじきけりがつく予定の(本当は何ヵ月も前にけりをつけないといけなかったんだが)PK●ィック『副次的真実(仮)』にそこはかとなく通じるところがあるような気がするので。まあ我田引水だが。というのは、この『シンギュラリティ・スカイ』では人類は〈エシャトン〉という超AIによって3千光年もの彼方の様々な星系に強制移住させられているのだが、●ィック作のほうでは人類の大半が権力者にダマされて地下に移住させられてる。で地下住民は真実を知ろうと地上にあがろうとするが権力者にまたも圧迫されて、みたいな話なんだが、この『シンギュラリティ』でも、人類は光速を超えることによって分断された溝を埋めようとするが、しかし光速を超えると因果律侵犯が起こってしまうから、超AI〈エシャトン〉はそれを絶対に認めない。だが人類は星系ロヒャルツ・ワールドを襲おうとする〈フェスティヴァル〉なる謎の存在と戦わねばならないのでそんなことを言ってられなくなり、〈エシャトン〉はそれを監視するために策を凝らす。そのあたりの経緯を含みながらの人類の戦いが語られるのがこの小説、ということになる。で、面白いことにここでは未来社会の人類が十九世紀的帝国主義国家のような政体を成しているが、ディック作でも核戦争後の世界がヒトラー的な独裁者の支配するところとなっている。でその独裁者は専ら巧みな情報操作によって人々を服従させるが、『シンギュラリティ』でも人類の上に立つ〈エシャトン〉はいわば情報の塊だ。というふうに見ると、二つの別時代の作家の小説はまったく違う趣でありながら底のところに何か共通の意思を秘めていそうな気がする。解説によれば〈シンギュラリティ〉とは「科学の進歩によって予測もできない段階に到達する時点」すなわち特異点のことであり、インターネットの検索が万能化しつつある現代はまさにその前兆じゃないかと訳者は述べている。一方の●ィックは未来社会の情報はでっちあげられた〈副次的真実(大本営発表みたいなもの)〉になるとしていて、この〈シンギュラリティ〉と〈副次的真実〉の懸隔を思ったりすると、この意外な両者の対比もまんざら刺激的でなくもないと思えるわけである…
…なんてね、まあ我田引水もいいとこで。ただ両者が大きくそして決定的に違うのは、チャールズ・ストロスが途方もない量と質の科学知識とそれこそ情報とを以て物語を構築しているのに対し、●ィックのほうはそこらがまったくいい加減(!)だという点だ。だからこそ筆者のように科学に疎いやつでも訳せてるような気になれる。だがこの『シンギュラリティ』はそうはいかず、科学に関するかぎりかなり手強い(SFだから当然かもしれないが)。が訳者は「そうした用語を読み飛ばしても新感覚スペース・オペラとして楽しめる」と書いてくれてる。読み飛ばすまで行かなくても、わかってるつもりになってとにかく読み進むのがいいだろう。ユーモアの効いてる訳文はそうするのに適した読みやすさであり痛快さだ(逆に言えばその苦労が偲ばれる)。何よりも、面白い。絢爛たる想像力を駆使した幻想小説でもある。あと問題の〈バナナナメクジ〉というやつについては、周辺情報を総合した結果、その手のものに弱い筆者は結局イメージ検索を断念した…
 ところでこの作者のThe Atrocity Arcivesはクトゥルー+SF+スパイスリラーという作品とのことだ。これは是非訳出紹介してもらいたい! H社がもしダメならそっち方面に強いT社という手もあることだし(冗談です)。そういえば『シンギュラリティ』に出てくる〈フェスティヴァル〉なる謎の存在は何となくヨグ=ソトースあたりを思わせたりもするような…