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『ハマースミスのうじ虫』『淑やかな悪夢』

淑やかな悪夢 (創元推理文庫) ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)
『ハマースミスのうじ虫』ウィリアム・モール。1955年作のイギリスの犯罪小説。約半世紀前に一度訳出され、ようやく新訳で復活した名作とのこと。遺憾ながらその方面に疎い筆者だが、瀬戸川猛資『夜明けの睡魔』(文庫化のとき入手しててよかった)を覗くと、たしかに「誇り高き男の子」という章題でこの作が採りあげられてる。が、それを読まずにまず作自体を読んだ(本書解説もあえてあとまわしにした)。引き込まれて一気に読み終えた。面白かった! この引き込まれはなんだろう? 現代の小説によくあるような脇道がなくて、凄く直線的に話が進んでいくからってこともあるが、同時にそこに妙なスピード感があると思った。アマゾン評見ると「ゆっくりしてる」とか「淡々としてる」とかあるけど、そんな感じは最初から全然しなかった。むしろ解説者が言うところの「だれるところがない」ってのが正解だろう。それはひいては、書かれてる話の濃さ、というか、犯罪への強い興味からその深みと人間の内実とに嵌まっていく「探偵」のうむを言わせない牽引力、みたいなものが大きいということだと思う。わずかな手掛かりから「証拠」のない犯人を徹底した理詰めで掘り下げて追い詰めていくこの「探偵」は、実はまさにデュパン、ホームズの直系じゃなかろうか。その意味じゃサスペンスだけど「本格ミステリ」とも言えそうだ。(なーんて、また生意気を言ってしまったかもしれない)
 あと「解説」(川出正樹氏)が凄い。分量的にも内容的にも作品自体に劣らない濃さだ。それだけの濃さを搾るだけの作品であり作家だということだろうが、それでいて自分が目立つことを避けきった「解説」に徹してるのが律儀だ。でもこの人にはいずれ長編評論とか評論集とか出してほしいと思う。あと、後半部分で作者の〈正体(?)〉に迫っていて驚かされるが、これって、アマゾンのレビュー等でバラしてしまうのはある意味ネタばれじゃない? コアなミステリ・ファンには知られてることかもしれないけど、初読の読者などにとっては、この解説の肝の一つになるところだろうから。(なーんて、またナマ言っちゃったかも)


『淑やかな悪夢 英米女流怪談集』シンシア・アスキス他。これはこの上なく迂闊だった! というのは、六年前に単行本で出されたものの文庫化ということだが、かつての初刊時にはなぜかしら出てることにすら気づいていなかったようだからだ。女流怪談集が準備されてるらしいとの噂は前から聞いてたのに(つまり今般やっと刊行成ったと実は思ってた!)……たぶん個人的にいろいろあってアンテナが錆びてたからかもしれない、と言い訳しとこう(汗)。それはともかく、倉阪鬼一郎南條竹則西崎憲という当代怪奇三賢の編訳による精華集だ。〈淑やか〉というのは閨秀作家集ということに由来するだろうが、その内容はなかなか凄絶なものが多い。目利きが選んでいるので薄味のなど一つもないが、なかでもアスキス「追われる女」ギルマン「黄色い壁紙」ディルク夫人「蛇岩」等が個人的にはとくに好みだ。総じて、〈女〉という存在はそのイメージだけですでに何か怖い(?)ものだが、ここでは作者もみな女で、いわば「怪談」というものの本来の凄みが〈女〉というホームグラウンドに帰ったお陰でより増幅されてるような気がする。またあの〈貞子〉の出現以降日本人は日本的怪奇の凄さを思い出してそこに立ち帰ったと思うが、実はこういう英米の本来的な怪談にもそこに直結する怖さが脈々とあったんだということを、この集成は思い出させてくれる。そのキーワードが〈女〉で、それを男三人が編訳したというところにも、この流れの陰影がありそうで興趣深い。……なーんて、また生意気こいちまったかな。


※両書とも東京創元社刊ということからの繋がりでというわけではないが、ピーク、キャロル、セイヤーズ等で同社ととくに縁が深いと思われる翻訳家浅羽莢子さんが亡くなられたとのこと。個人的には挨拶したことがある程度で(浅羽さんは憶えてなかったと思うが)縁薄いが、自分よりはるかに健康そうでエネルギッシュな人というイメージがあったので、ショックだった。八年ほど前鮎川賞三次会のカラオケで同室だったときの、SMAPを立て続けに熱唱していた姿が鮮烈に脳裡にある。ご冥福をお祈りします。