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アルシオーネ

Arte De
アルシオーネのベスト盤を買った。USインポートもの。もちろんミルトン・バナナコパカバーナの誘惑』中指折りのお気に入り「愛のサンバは永遠に」に触発されてのことだ。そしたらいきなり1曲目に来た。代表曲だったら当然だろうな。のみならず、『コパ』で「愛の…」と同トラックに入ってたさらなるお気に入り「スルド」もアルシオーネさんは唄ってた! こりゃよかったね。
しっかしこのアルシオーネ姐さんの歌はパワフルだわ! 歌だけじゃなくてなんか人柄の豪快さまで伝わってきそうな感じ。日本でいうとちょうど大西ユカリってところか。その力強さと土俗っぽさがやっぱ本家ブラジル・サンバって感じで、いいわ〜、こういうのサウダージってのかね。なんちて。
ただ、音楽なんてべつに聞き比べるものじゃないとは思うが、あえてバナナ版とどっちかといったら、おれはバナナ版をとるっぽい。というのは……
ラクタ箱をひっくり返してみたら、安物のサンバ名曲集を2枚ほど買ってたことに気づいたが、なぜうっちゃったままにしてたかというと、どうやら、一聴、あまりにモロ原サンバというか土俗っぽすぎるのが多くて、ただ軽い乗りで聴きたいだけのこちとらみたいな半端な聴き手にはちょっと濃すぎるなってことだったと思う。あえてでかい口を叩けば、たぶんカルロス・ジョビンがサンバからボサノバ生みだして成功したのも、そういう〈半端なニーズ〉みたいなものに幸か不幸かたまたま合致しちゃったからじゃないかな。もちろんジョビン本人にそんな打算はまるでなかったにしても。事実、事情通の人の記事によると、ジョビンはボサノバを必要以上にジャズ化(というかアメリカナイズ?)しようとしたスタン・ゲッツに実は反感持ってたらしいし。つまりジョビンはあくまでサンバの(つまり原ブラジル音楽の)延長としてやってたってことだろうが、それでもやっぱり、おれたち半端な聴き手はそんな創り手の意志に関わりなく、とにかく耳に心地いいものに耳を傾けるってだけのことだからね。ただそういう流れがゲッツみたいなアメリカ陣営に巧く利用されやすかったってことはあるんじゃないか。ところがミルトン・バナナは(というよリ彼の『コパ』に関するかぎりは)ある意味ジョビン以上に原サンバのよさを活かしつつ、それでいて半端なニーズにもギリギリ応えうるものを創っちまったって気がする。ただジョビンと違って消えちまったのは、それがギリギリだったせいかもしれないが。
でもとにかく、少なくともおれの耳にはまたとないものとして残った。
なんつーか、あんまり軽いというか細い路線はおれはダメなんだな。たとえばジョアン・ジルベルトって未だにダメだね、眠くなるだけだよあれは。娘のアストラッドのが遥かにまし。それと小野リサもどーもいけない。退屈。要するにラテンってそんなほんわかしてるもんじゃないっしょってことよ。
だからアルシオーネはこれはいいよ(やっとそこに来たな)。小野リサなんかとは真逆のこのパワフルさは。ただあまりにパワフルすぎて、長く聴いてると疲れてくるってことはある。それがあえてバナナ版を選んだという結論。
ときあたかも17日からはリオのカーニバルだそうだ。テレビでいってたけど、あのパレードって実は市中を行進するわけじゃなくて特設会場でやってるだけらしい。それがテレビに映されるときはなんだか街中があれで大騒ぎってふうに見えるという仕掛け。