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朝日ソノラマ

natsukikenji2007-06-25

朝日ソノラマという会社が店仕舞いするというが、淋しいことだ。
昔田舎にいながらも東京の幻想文学会(早稲田大学の人たちがやっていた)に混ぜてもらい、その会長だった保坂泰彦氏から作家・菊地秀行氏を紹介してもらい(菊地氏は同会に関わっていた)、さらにその菊地氏に無謀にも頼んで朝日ソノラマの編集者I氏を紹介してもらって、このI氏のところに書きかけの小説原稿を持ち込んだ。今思えばまったく馬鹿なことをした──原稿を持ち込むこと自体ではなくて、プロの編集者に「書きかけ」を見せるという心根がまったくありえなかった。にもかかわらずI氏は非常に丁寧に色々と助言をしてくれた。そして氏が編集していたソノラマ文庫から読んで資とすべき作品を数点譲ってくれた。助言を聞きまたそうした作品を読むうちに、自分の至らなさと努力の足りなさに気づいて(本当に気づいていたかは疑問だが)、その時点での創作持ち込みを断念した(それは菊地氏の紹介の労を無にすることだったが、それにさえ気づいていなかった)。そして二度目にI氏を訪ねたときだったと思うが、海外物の翻訳をやりたいという相談をした(それとてアマチュアの域でやってただけだったが)。もちろん当時あったソノラマ文庫海外シリーズが念頭にあってのことだったが、I氏は「うちは海外物は撤退するので、ファンタジーやホラーをやりたいなら東京創元社に行ってみてはどうか」と勧めた。もちろん創元といえばその方面の専門出版社だから行き先としてはこの上もないが、だれの紹介もなくいきなり訪ねて素人の話を聞いてもらえるなどとは思えなかった。しかしとにかくやるしかないと思い、思いきって編集部にいきなり電話したところ、幸運にもある若い(当時)編集者が会ってくれた。そしてその人に社の近くの喫茶店で延々数時間相談相手になってもらうことができたのだが、それが現在ディックを担当してもらっているSF系のK氏だ。そのほかに同社編集部には怪奇幻想系のH氏(現社長!)・ミステリ系のM氏(のちに退社)・のちにH氏の部門の後継となったM氏らがいて、なんというかみんな非常に話しやすい人たちで、素人時代に知らずに恐れていた敷居の高さみたいなものが感じられない社風だという気がした(もちろんそれと仕事上の厳しさとは別だが)。そこでこれに味をしめ(というと語弊があるが)、ほかの出版社にも次々「翻訳をやりたい」という頼み込みをやった。早川書房(HMMで数度仕事したが、その後すったもんだがあって出入禁止となった)・光文社(ここは紹介でEQで多数やったが、今思うと仕事の出来は最悪だった)・扶桑社(当時はまだリーディングだけだった)・二見書房(意外にも初の長編仕事はここ)・講談社(二冊ほど仕事したものの、早川絡みで不興を買い縁が切れた)……どこも想像していたような「素人の話など聞く耳持たない・洟も引っ掛けない」などといった感じはなくて、みなよい人たちで一応の相談には乗ってくれるのだとわかり、それだけでもこの世界に希望が見出せるように思えた。だが中でも一番親しみを覚えられたのは、やはり最初に深く入り込ませてもらえた創元だった。以後仕事はもちろんいろんな面で世話になっているが、その創元とのあれほど早い段階での出会いも、ソノラマのI氏の勧めがなければ実現していなかっただろうし、ひいては他社への積極的な売り込みをすることもなかったかもしれない。その意味でI氏との出会いは、結局直接仕事上で関わることはなかったにもかかわらず、自分の中では大きい経験だった。その後氏には偉い肩書きがついたと聞いたが、パーティーなどでたまに出会うと相変わらず腰が低くて優しくて、若い頃と同じような感じだ。ロフトプラスワンでの菊地秀行氏のトークライブで偶然会ったこともあった(ゲスト的な意味合いで来ていたんじゃないかと思う)。たとえばそんな場で、また出会いたいものだが。


ところでIさんが勧めてくれたソノラマ作品の中に、在沢伸(『謀略のゲリラ星域』等)・鳥海永行(『フルムーン伝説・インドラ』)があって、SFアクション&インド系ファンタジーとまったく違う分野ながらともに筆力想像力が凄くて驚かされた。創作持ち込みを諦めたのはこれらの作の出来のよさも因していた。とくに在沢作品はジュブナイル(と当時はいってた)とは思えない中身の濃さで、期待株じゃないかと思った(Iさんも高く買ってた)が、今検索すると意外にもこの名前ではソノラマでしか出ていなかったようだ。「宇宙塵」同人とのことだが、その後どうしたのだろう、埋もれるには惜しい才能という気がするが。