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柏崎

natsukikenji2007-07-17

以下すべてテレビ報道からの受け売り(その誤解曲解も含む)だが…
「新潟中越沖地震」ということになった。当日から翌日未明にかけての間に早くも死者8人というのは、当初思っていなかった(もちろん素人が勝手に思ってただけだが)被害の大きさだ。しかも全員70〜80代の高齢者。たまたま休日だったので、平日は勤めに出ている若手(と方言でいう)が家にいる家庭が多かったはずだから、そんなに年寄りだけ犠牲になることもないんじゃないかと予想してたが、結果はなぜか違ってたようだ(年配者のいる親戚には電話したが、幸いみんな内陸の栃尾なので大事なかった)。
地震のタイプは中越地震同様の逆断層型というのだそうで、プレート同士の圧迫で片方のプレートに亀裂が入るなどしたとき起こるものらしい。これは別に新潟だからということでなく日本全国ほぼ等条件だろうが、とくに中部あたりは三つのプレートの接点みたいだから、やはり多少頻度は高いのかもしれない。
今度の地震被害は震源の関係で柏崎市および刈羽村方面に集中していて、より東側(より内陸)になる長岡ではさほど甚大ではなかった。またニュース映像で見る柏崎の被害の特徴は、前回(中越地震)での長岡の場合と違い市街地に大被害が集中していることだ。前回では山古志や栃尾や濁沢など周辺の山間部において甚大で、長岡の中心に近い住宅地や市街地では、揺れと同時の全面倒壊といったような大きな破壊はそう多くはなかった(といっても亀裂や剥落や部分損壊等にはほとんどの家が見舞われ、きわめて被害の少ないほうだった我が家も一部損壊に認定されたが)。これは震源が片や海底此方内陸だから当然だろうが、それにしても中心街で商店が大きく傾いていたり、平地の民家や神社が全壊したりという映像は、前回の長岡ではあまり見られなかった光景だけに衝撃的だ。もちろん山間部の破壊の復旧も非常に大変だっただろうが、今度のような平野部の破壊とそこからの復興は、また少し性格の違った大変さがありそうで思いやられる。新潟地震(遥か昔だが)や阪神大震災の教訓が活かされるときなのかもしれない。また地域の復活にはまたも全国の方々のご支援に頼ることになるのだろう。
なおこの度も個人的に各地の知人の皆さんからご心配を頂いて、大変に有り難かった。感謝申しあげます。


さてその柏崎というところは、30〜40キロほど離れているのでそう頻繁にはいかないものの、実はかなり好きだ。米山、米山大橋、恋人岬、柏崎風の丘コレクションビレッジ──これはこども時代館・黒船館・痴娯の家・同一庵藍民芸館という四つの骨董・民芸・工芸等のミニ博物館が集中してるところで、それぞれに味わいがある。柏崎という町の人々は昔からそうした骨董とか工芸などに関心が強かったらしい。このうちこども時代館というのは以前はとんちン館という一風変わった骨董館だった。これは柏崎出身の稀代の珍品コレクターでラジオタレントでもあった石黒敬七が世界中を旅して集めた無数の骨董・雑貨コレクション(ライター・写真・パイプetc)が所狭しと陳列されて壮観だったが、何かの事情で現在の懐かし玩具館に変わってしまいやや残念ではある(それはそれで味はあるが)。また赤坂山公園は桜の名所(写真)で、個人的に長岡の悠久山公園より整ったいい感じで好きだ。同公園に接した紅葉の名所・松山亭もいい。また大合併で柏崎の一部となった高柳は多くの茅葺古民家が残されてることで有名だが、黒姫山の彼方の奥地のため残念ながらまだ足を伸ばしていない。今度の地震で茅葺の家が壊れたりしていないといいが。