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片平なぎさ

natsukikenji2007-08-26

片平なぎさの全国ゴールデンワイド旅劇場
まともな人たちは『ミヨリの森』か世界陸上見るんだろうが、ここはもう久方ぶりの片平なぎさに淫するしかない。土曜ワイド劇場「変装捜査官・麻生ゆき 湯布院温泉、華やかな連続殺人! 華道家元、大富豪夫人、家政婦…変身潜入の女刑事が暴く3つ死体に4つのトリック!」。一般では2時間ドラマと呼ばれてるが、そうは呼びたくない。ワイド・サスペンス。といっても単に老舗だった土ワイの「ワイド」と火サスの「サスペンス」を足してリスペクトとしただけで深い意味はないし、他人にもそう呼ばせたいなんていうわけでもない。老舗「だった」というのは、残念ながら一方の雄「火曜サスペンス劇場」がすでになくなっているからだ。日テレは視聴率競争で長年トップを走っていたが近年フジに遅れをとり始めたため、既存の枠に胡坐をかいてることをやめてあちらこちらに大鉈を振るい始め、伝統の火サスもついに切られた。その過程がちょっと妙だった。というのは、火サスというタイトルを廃したあと短期間「ドラマ・コンプレックス(略してドラコン)」と称して、普通ドラマ(難病物とか感動物とか)の中に唐突に殺人事件と犯人探しを混ぜ込んだあからさまにいびつな代物を数回放送し、そのあと「ドラコン」というタイトルも廃して純粋な普通ドラマを2,3回やったが、いずれも視聴率の好転が見られなかったためついに枠を完全撤廃してバラエティと連ドラに分断する、という経過だったことだ。あんないびつなもので視聴率を試すこと自体ナンセンスとしか言いようがなかったが(そのいびつさ自体はそうであるがゆえに面白かったものの)、そのあとのバラエティ(オリ経)と連ドラ(探Q)がどう見ても火サスを凌駕するほどのものとは思えないってのも首を傾げるしかない。あの経過の中には「視聴者はもうミステリ系ドラマのマンネリ性にいい加減飽きて、難病物とか感動物に移行しつつある」という安易な予測があったはずだ。テレビ屋とも思えない安易にして陳腐極まりない発想だ。「ワイド・サスペンス」はすでに自己のマンネリ性(様式性・形式性)に自己言及(自己パロディ)する時代すらとうの昔に終えて、現今は「敢えて自己言及すらしない」ことそれ自体によって秘密裏に自己言及するという透徹した究極の完成形を迎えつつあるというのにだ。その証拠に他の主要民放各局は日テレの方向転換に結局追随しなかったし、今に至るもしていない。TBS「月曜ミステリー劇場」フジ「金曜プレステージ(金曜エンタテインメント改め)」そしてテレ朝「土ワイ」(あとテレ東もたぶん同様)、いずれもまだ伝統を守り続けてる。日テレが何か勘違いし始めてるなと思ったのは、例の「ベタな展開」とかいうのをバラエティのネタにし始めたときだった。パロディの対象にする素材自体をちゃんと見ていないか、ちゃんと見る目も頭も持たない連中に限って「ベタ」とかいう安易な言葉で皮肉や批判ができると思いたがる(もっとも最近はみんなそれに気づき始めたからあまり使われなくなったが)。皮肉る素材自体がすでにその次元を超えてるのに皮肉る側がそこ止まりというのは、滑稽というかバカとしかいいようがない。つまり「陳腐だ」と皮肉ることそれ自体のほうがより「陳腐」になってしまう批評対象があるってことに気づいていないんだな。
 脱線が長くなりすぎて肝心の片平なぎさを語る余裕がなくなってしまったが、とにかくそうした守られるべき伝統の最大の旗頭が土ワイであり、この枠自身それを強く自覚しているかのように毎回がすばらしく、今回もこの伝統の長いサブタイトルからしてすでに感動的ですらある。そして主演がワイド・サスペンスの女王とくれば何もいうことはない。「どうしてあんな変装が見破れないんだ」とかいうたぐいの「陳腐」で安易な批判など寄せつけもしないコテコテの土ワイ魂を今回も遺憾なく魅せつけてくれた。有森也美がゲスト、吉野公佳がチョイ役(またも!)ってのも儲けだった。片平が久方ぶりと感じられるのは「小京都ミステリー」シリーズのあった火サスがなくなったからだろうが、TBS「カードGメン小早川茜」とフジ「赤い霊柩車」の両シリーズはまだ残ってるはずだから、遠からずそれらの新作も見たいものだ。