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『明日への遺言』他

natsukikenji2008-03-05

椿三十郎 初回限定豪華版 [DVD] 明日への遺言 オリジナル・サウンドトラック
明日への遺言』を見た機に、『続・三丁目の夕日』以後にTジョイ長岡で見た映画をメモっておく──といっても他には結局2本(『椿三十郎』『マリと子犬の物語』)しか見ていないが。
『椿…』は面白く見はしたものの、何でそこまでオリジナルに忠実に創るんだろうとまず疑問には思った──が考えたらそれはしょうがないというか当然なんだな、要するにリメイクする側(つまり角川春樹)がべつにオリジナルを壊したくてやってるわけじゃない以上、オリジナル側の許可をとって「忠実に創ります」と宣言してやることになるわけだから。つまりそうまでしてでも創りたいからこそやるわけで、そうじゃなかったら何のことはない最初から創ろうなんて気起こさないってだけのことだからね。しかも相手が何かとうるさい黒澤プロ(何かというとすぐ訴えたがるあのドラ息子が社長やってる)ってことになれば、そりゃ揉み手で気遣っといて当然だわな(何でも角川は『用心棒』と抱き合わせでリメーク権料3億円支払ってるらしいが)。しかし個人的には、こういうふうにオリジナルがあまりにも有名且つ偉大な作品であるような場合には、むしろそれと全然違ったものを創ってこそ意味があるんじゃないかという気がしてならない(その意味で例えばハリウッド版『GODZILLA』なんかはもう大好きだ)。でもまあ、敢えてオリジナルを尊重するかに見せかけてでも自分の創りたいものを創ろうという角川春樹は、俺みたいな凡人とは到底ワケが違うってことなんだろう。あとアマゾン覗くと、案の定DVD発売前から早くも「よくも天国のクロサワに唾を…」とかいうあまりに通り一遍の卑しすぎる嫉み評が臆面もなく載ってたりするのは困ったものだ。俺はべつに織田ファンでも森田ファンでも角川ファンでもないが(いや無論好きな映画はあるよ犬神家とか)、こういう一見辛辣そうでいながら実はエラいほうを持ち上げて自分を上等に見せたいだけという姑息な映画オタク(悪い意味での)には苦々しさを禁じえない。
『マリと…』は全国的にも意外と(?)大ヒットしたらしい。当然のように「現地」であるこっちじゃいまだにロングラン中。こういうお涙頂戴話系(と当然事前には予想された)はほんとは大の苦手の部類なんだが、見てみるとこれが意外にもよくできていて面白かった──などといってはいけないんだろうが。常套的にいえば、パニック映画であると同時に動物映画でもあり家族愛(コミュニティ愛)映画でもあるが、個人的にはやはりロケ地が地元ってことで、「ここはたしかにあそこだ」「ここは実はあそこで撮ったらしい」とかいう興味が先に立つ。ただやはり現実の上で自分自身が地震では極小の被害で済んでるため妙に冷静に見れてしまってるのが実は怖いことなんだろうとは思う、身につまされて直視できないなんて人も当然いるだろうから。あと気になったのは、台詞がすべて標準語になってたこと──というより中越弁というか山古志弁を敢えて完全に排してあった点だ。べつにそれが悪いとかいうんじゃなく、「あ、やっぱ新潟弁ってこういう場合扱いづらいよな」と再確認したってこと。といっても新潟弁が聞き取りづらいってことじゃなくむしろ逆で、要するに関西弁や東北弁と違ってあまりにも特徴がなさすぎる(or一般的に知られていなさすぎる)ってことだ。あと主要キャストがモデルとなった実際の人物に妙に似てたのが可笑しかった、主人公役の船越英一郎といいその父親役の宇津井健といい村長役の小野武彦といい。
今回見た『明日への遺言』は、予告など見るとこれまた苦手な大感動物系かなという感じだったが、これが意外にも冷徹な大シリアス物だった。9割方が法廷シーンで、被告(藤田まこと)と3人のアメリカ人(弁護士・検事・裁判長)との4者の攻防が極めてドキュメンタリータッチに綴られる。エンドロールではこの4人が最初にきていて、アメリカ人の三人もただの「脇」じゃなくそれぞれの心理面・人間性面までが抑えた調子ながらも差し挟まれてる。とくに目を惹いたのは検察官役のフレッド・マックィーンで(この役者『ローレライ』にも出てるらしいがそっちは見てない)、個人的には助演男優賞物だ。日本人の目からすると一番の「憎まれ役」に相当する役どころを、それに徹して戯画的になるのでもなくかといって過度に内面を窺わせるのでもなく、ときに激しい調子を交えながら難しい立場をよくやりきってた。パンフレットでのインタビュー見ると、やはり役割の難しさはかなり実感してたらしい。余計なことだが、この人きっと偉大すぎる父親に顔が似すぎてて損してるんだろうなと思えた。藤田まことのやったキャラはやや立派すぎるようにも見えるが、知られざる人物を知らしめるためという目的で創られた映画なんだからそれはある意味当然のことで、いいんじゃないかと思う、藤田以外の役者がやってたらもっと立派すぎてたかもしれないし(だからこの人をキャスティングしたんじゃないかな)。ただ気になったことがあるとすれば、この映画での「真の悪役」になってた人々、つまり主人公らにのみ罪を着せようとして検察側証人になった軍の法務関係者たちの存在だ。そのモデルとなった人たちにも当然遺族はいるわけで、他人には計り知れない立場や言い分も当然あるだろう。そこまで踏み込んで描かれてたなら、この話はさらに「フェアな」ものになってたんじゃないか。