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『日本海軍 400時間の証言』


NHKスペシャル日本海軍 400時間の証言』、「第一回・開戦──海軍あって国家なし」(8/9日)。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
旧日本帝国海軍の中枢にいた軍人たちが戦後11年間・130回に渡って秘密裏に「反省会」を持ち続けていた、その全てを記録した400時間に及ぶ録音テープが発見された。太平洋戦争を巡る日本軍中枢部の思考と行動に関しては関係文書の多くが失われている(それ自体驚くべき且つ恐るべきことだが)ため、それは空前絶後ともいえる重要史料となるだろう。この番組はその厖大な全貌の中から最重要なテーマに係わる部分のみを抜粋して3夜連続のドキュメンタリーにまとめたもの。なぜあの忌むべき戦争をあそこまでやり続けてしまったのかという後悔と懺悔のため自分たちのやってきたことを検証し後世に残そうとしたのがこの「反省会」だが、それでいて自らの恥を晒すことを躊躇したためこれまで世に出したことがなかった。番組で紹介される老いた元将官たち(70~80~90歳台)の肉声は全容のごく一部に過ぎないが、それでもその「声」の一つ一つがあの人類史上未曾有の出来事の最根幹に係わるものだと思うといい知れぬ戦慄を禁じえない。
ここで肝心なのは彼らがかの東條英機のいた陸軍ではなく「海軍」であること、そして海軍は海軍省の他に「軍令部」なる組織によって共同統轄されていたということだ。この軍令部というのが最大の問題で、天皇直属だったため所謂「統帥権」なるものを楯にし、実質的には海軍省を差し置いてでも海軍を動かせる強い権力を持っていた。しかも彼らは開戦以降のあらゆる「作戦」を立案しそれを戦場の軍隊に実行させる権限を一手に握っていた。当然ながら山本五十六率いる連合艦隊も彼らの指揮下にあった。つまり彼ら軍令部こそがあの戦争の「全て」を掌握していたといっても過言ではないわけだ。だから「反省会」においては海軍省あるいは連合艦隊の元将官たちが軍令部の元メンバーたちに質問をぶつけ、ひいてはその責任を糾弾するという構図になることが多くあったようだ。曰く「なぜ勝ち目のない戦争を敢えて始めたのか?」、曰く「なぜあれほどまでに杜撰な作戦ばかりを立案したのか?」。戦争のプロが呈する疑問としては空恐ろしくなるほどに素朴過ぎるものに見えるが、しかしそれに対する軍令部側の返答はもっと呆れ返るばかりにお粗末なものだ。曰く「戦争に向かおうとする時代の流れに抗しきれなかった」、曰く「今開戦しなければ陸軍がクーデターを起こしてでも開戦を強行すると予想された。好戦的なだけの彼らにそんなことをさせるよりは海軍の手でやったほうがまだ勝ち目があると思った」。つまり、何より驚くべきは開戦を「決定」した他の誰でもない彼ら軍令部自身が実は開戦を望んではいなかった──戦争なんてやりたくないが周りがやいのやいのいうのでしょうがないから始めようといった致命的に及び腰の決定に過ぎなかったということだ──実際に戦って死ぬのは自分たちでなく戦場の兵士たちであるにもかかわらずだ。しかもある元軍令部将官はいう──「開戦決定を天皇に進言した永野軍令部総長の責任のみをいうのは酷だ。それ以前に軍令部の権限を異常に強めた伏見宮総長の時代の責任を問うべきだ」──これは一見皇族出身軍人を告発する勇気ある発言のように見えるが、実のところは自分たち軍令部軍人の責任を皇室に転嫁しようとする「逃げ」あるいは「いい子ぶり」でしかないだろう。彼らは日本軍のエリート中のエリートなはずだが、その精神的「ひ弱さ」は目を覆うばかりだ。日本軍の何よりの不幸は、そんな者たちが最高最大の実権を持っていたことだ──彼らに比べれば「好戦的なだけの」東條英機ら陸軍のほうがまだしもマシだとすら思えてしまうほどだ。
そして「第二回・特攻──やましき沈黙」(8/10月)。http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html
「神風」「回天」等の「特攻」という信じがたいほどに恐ろしい作戦はなぜ始められたのか。これまた軍令部によって編み出されたものだが、そのアイデアの発端はこれまた耳を疑うほどにいい加減なものだった──曰く「もう戦う力なんて残ってないんだから、あとは体ごとぶつかっていくぐらいしかないだろう、といった考え方があった」。軍令部もおそらく作戦とか新兵器開発とかいった仕事が袋小路に入ってしまい、窮余の策として出てきたのが「特攻」という考え方だったんだろうが、しかし越えてはならない一線の越え方としてはあまりに安易且つ愚かしい。しかも愚かなだけじゃない、その後の言い訳はこの上なく「愚劣」だ。曰く「山本司令長官はじめ連合艦隊真珠湾攻撃を成功させて以降神格化され、その好戦的気風には逆らえなかった(だから特攻でも持ち出してご機嫌をとるしかなかった)」、曰く「特攻とは最早作戦ですらないもっと崇高な思想であり、したがって我々(軍令部)は「特攻せよ」などという具体的指令を出したことはない(つまり現場が勝手にやったことだ)」──だが現実にはそうのたまう軍令部によって次々とバカげた特攻兵器が立案され、その実験段階でさえ多くの犠牲者を出していった(神風や回天はごく一部の実験成功?例に過ぎない)。戦後罪の意識に苦しんだのはそうした兵器の製造に携わった人々、そして誰より若い兵士たちに特攻を命じて死なせた現場の指揮官たちだ。にもかかわらず軍令部の生き残りたちは「反省会」において責任を詰問されても反論さえ多くしなかったという。その1人が自宅で密かにつぶやいたという言葉──「我々の沈黙はやましき沈黙だ」(遺族の証言)がわずかに彼らの罪悪感を現わしてはいるかもしれない──勿論そんなつぶやきだけでは到底贖罪にはならないが。
とはいえこの「軍令部」なる存在にのみ責任の全てを負わせたとしても、それもまたどうにもならないということもいうまでもないだろう。答えなんてどこにもないのかもしれないが──とにかくそのテープに収められた肉声をもっと聴いてみたいものだ。
8/11火(予定)「第三回・戦犯裁判──第二の戦争」。http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html