.

『高慢と偏見とゾンビ』 / 『ノーサンガー・アビー』

先月のことになるので遅きに失していますが…ジェイン・オースティン&セス・グレアム=スミス著『高慢と偏見とゾンビ』(安原和見訳・二見文庫)をいただきました。またそれ以前にたまたま昨年秋に出た同じJ・オースティン作の『ノーサンガー・アビー』(中野康司訳・ちくま文庫)を買ってて、ようやく両方読んだのでこの際併せて採りあげておきます。

で『高慢…』のほうは以前仕事で担当してもらった二見文庫編集部のO(オー)さんが、当方がホラー好きだってことをご存じなので厚意で贈ってくれたもの。海外では大変なベストセラーになってるそうで、この邦訳版も刊行と同時に方々で話題になり実際売れ行きもかなりのもののようだ。出版不況下とくに翻訳物が一段とお寒い状況下でこういう題材のが当たったというのは快挙かもしれない──というか「こりゃ1本とられたな」感が否めなくもある。ところが悲しいかな無教養なこちとらは肝心の『高慢と偏見』自体を読んでいないんだが…そんなことは構わずとにかくこの〈ゾンビバージョン〉をいきなり読んでみた(いや実際訳者あとがきには「未読の人こそ本書を入門書に」と書いてあるし)。するとこれはたしかに相当ユニークで面白い試みであることが判った。のみならず原典までもう読んだ気になれた!(?) …まあ後者のほうは思いすごしとしても、何がユニークかといえば、実はこれ全篇がはちゃめちゃなパロディ一辺倒になってたりするわけじゃなくて、おそらくは原典をそのまま活かしたちゃんとした恋愛小説(というのか社会小説というのか)の「ところどころに」とんでもないモンドネタ(ヒロインらが時々空手でゾンビどもをぶっ殺したり、死者のみならず忍者まで跳梁したりetc)が鏤めてあるという、いわばそういう何ともへんてこりんなある種「中途半端」な世界観(=※けなしてないです)とでもいうべきものが、奇しくもシュールでホラーな独特な心地よさ?を醸し出してる、ってところだろうか。
手前味噌な話になるが昔ゾンビ小説集『死霊たちの宴』を1人で訳したことがあったり(とうに絶版だが)ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が個人的に長らくオールタイムベストホラー映画だったり(今は白石晃士ノロイ』がとって代わったが)というやつなので正直なところ初めはもっと凄絶なアポカリプス話を期待しないでもなかったが、しかしゾンビフィケーション(ゾンビ禍が既定事実化した絶望的な社会状況?)下でも恋愛や友情や家族愛に燃えて懸命に生きるヒロインらの姿は、(これまた我田引水だが)なんだか『渚にて』での全滅間際の世界で淡々たる日常生活を続ける人々を思い出させたりもして妙な感慨を誘った。ロメロ以降(というよりM・ジャクソン以降か)ポップ化しすぎたゾンビをここらへんで見直すためのヒントにもなるかもしれない。何ヶ所かあるグロでブラックでヘタウマ?な挿絵がまたいい↓。あとナタリー・ポートマン主演で映画化予定というのも驚かせる。

もう一方の『ノーサンガー・アビー』は嘗て荒俣宏『世界幻想作家事典』でゴシックリバイバルの一大パロディとして紹介されてたのが記憶にあって即買いしたもの。が、カバーにこそいかにもそれっぽい絵があしらわれてるものの帯の文句が「ラブコメディー」だけでゴシックのゴの字も謳ってないのでやや首傾げ気味だったが、読んでみてなるほどこれはラブコメディーのほうを謳うのが正解かもという気になった。たしかに後半古色なノーサンガー僧院が出てきてゴシック好きなヒロインを迷わせはするが、何しろ210年以上も前の異国の小説のこと、当時の彼の地での流行り物のパロディといわれてもこれだけではなかなかピンとはこないだろう。もうちょっと時期が早くてゴスロリが発作的ブームだったりした頃ならそっち系からの売りをかける手もあったかもしれないが。でもこれまたゴシックを読み直す意味からは今でもヒントになる作であることはたしかそうだ。蛇足だが同じ作者の代表作の1つを使ってゾンビネタといういわば現代のゴシック?をパロった『高慢と偏見とゾンビ』が成功したというのも歴史の皮肉といえるかもしれない… なんて無理やりまとめなくてもいいんだが。
二見書房編集部さんありがとうございました!
ノーサンガー・アビー (ちくま文庫) 高慢と偏見とゾンビ ((二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション))




























西崎憲さんと我孫子武丸さんからもそれぞれ新刊御訳書・御著書をいただきました、のちほど拝読後あらためてネタにさせていただきます、感謝!