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我孫子武丸『さよならのためだけに』

我孫子武丸さんの新作長篇小説『さよならのためだけに』(3月刊・徳間書店)を拝読しました。
http://www.tokuma.jp/book/bungei/30553088306a3089306e305f30813051306b

帯の惹句──表【夫とわたし、どうして別れてはいけないの?】、裏【「別れよう」「明日すぐにね」ハネムーンから戻った二人は即決した。それがどれほど危険なことか、二人はまったく知らなかった…】。そう、これは超スピード離婚(※成田離婚てコトバはとうに死語らしいので)を決めた主人公の新婚夫婦が果たしてほんとに「無事に別れられる」のか?という、離婚劇の意外驚愕な怒涛の顛末を描いたいわば「離婚サスペンス」だ。離婚などという事件でも犯罪でもない(はずの)私事が「サスペンス」になってしまうわけは、しかし親類や世間のしがらみのせいとかいうわけじゃない(いやそれも多少絡みはするが)、もっととんでもない理由による──その2人が科学的見地から相性最高(=「特A」)と判定された「別れるはずのない」、すなわち「別れることの許されない」カップルだからなのだ。つまりこれは結婚の前段階である恋愛や見合いが「相性診断」というシステムにとって代わられた社会を描いたある種の近未来SFでもある。いや「でもある」というよりむしろそここそが肝心なところだ。晩婚や非婚や少子化に危機感を抱き歯止めをかけねばならなくなった社会や国やひいては個々人が、そういう新システムを受け入れることによって希望を見いだそうとしている世の中…ということになればそれはまさに現実のこの「今」の時代に直結する。果たして結婚という社会制度によって人の幸福はどれだけ可能なのか、あるいはまた国家を運営する「権力」と個人の幸福の関わりとは…といった大きな問題をも孕んだ寓話でもある──のかもしれない…
…というところで個人的に「おっ」と関心覚えたのは、(いつもながらの強引な我田になるが)ちょうど最近訳し終えて来月出る予定のPKディック『未来医師』の設定がすぐさま連想されたからだ。といってもそっちでは逆に人口増加を抑制するために婚姻が禁じられ政府が人工受精卵を管理している社会が舞台になってるってことなんだが…そこはまあ何につけてもいい加減なディックのこと、我孫子武丸のこの『さよならの…』での綿密精緻な創り込みとは比べ物にならない杜撰なものにすぎない(というか小説自体が自他共に認める?中途半端な出来だし)。…なんてことを持ち出すまでもなく、いつもながら舞台設定面での我孫子武丸の周到さは微に入り細を穿って抜かりがない。そんな念の入った舞台装置から生み出されるのは上に挙げたような「大きな問題」の提起ばかりじゃなく、むしろより肝心なのは語られるお話そのものの持つユニークさのほうだ──別れる2人がまさにその「別れる」という目的のために命がけで「共闘」しなければならなくなる皮肉さとか、あるいは「離婚」なんていう個人的でちっぽけな(はずの)問題のためにまるでヒーロー然として巨悪と闘うハメになるという飛躍の可笑しさとか…我孫子武丸のそうしたシニカルな「笑い」への視点は今回も冴えている。ストーリーや語り口はこのたびは決してそれほどスラップスティック調なわけじゃないし(部分的にそっち気味なところも出てきはするものの)、最初期作のように突飛なギャグ満載なわけでもないのに、読み終えたあとにふと覚えるのは、いつの間にかこの作者特有の壮大な冗談にまたしてもしてやられたかも、という思いだ。それは初期ユーモア本格ミステリや『人形』シリーズから『殺戮にいたる病』や『弥勒の掌』などの問題作にいたるまでの多くの我孫子作品に共通する隠し味のような気がする──どこまで真剣でどこからがお巫山戯なのかと怪しまれるような、密かに裏で人を食ってるようなところが…
…といいつつも、ページをめくる間は数奇な運命に翻弄される主人公カップルの心理の変転にいつしか素朴に共感を覚え(まあたまにはあまりの奇天烈な展開に「そんなのありかよ!」と突っ込む場面もありつつも)、やがては我知らず2人とともに闘ってる自分がいた──なんていうと大袈裟に見えるかもしれないがほんとのことで、それはやはり作者の筆運びの巧みさのせいだ。いやほんとこの小説、連ドラにしたらさぞ面白いだろうななんて余計なことまでつい思ってしまう。冗談じゃなく是非どこかでやってほしい。その際キャストは(臆面もなく好みを出すなら)できれば瀬戸朝香&井ノ原快彦の特A?カップルか、あるいは木村佳乃東山紀之の近未来カップルで…などとさらに調子に乗って好き勝手をいったら我孫子さん眉を顰めるだろうなきっと。
…というわけで、素敵なご本をどうもありがとうございました!
さよならのためだけに