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斎藤健一詩集『海岸の草』

昨年なぜか思い立ってネット古書で購入した詩集2冊。

そのひとつが斎藤健一という人の詩集『海岸の草』(↑写真左)。実は中学から高校にかけて現代詩なるものにのめりこみ、図書館でその筋の本を借りて読んだり、それで知った詩人たちの作品を真似て自分でポツポツ書いたりしていたのだが、その頃地元紙『新潟日報』の読者文芸欄の詩のコーナーで入選の常連だったのがこの斎藤健一という人。で小生はこの人の詩に毎回のように衝撃を受け、少なからず影響された。そして自分でも思いきって投稿したところ(高校のときだ)、これがなんといきなり入選し掲載された。当時の選者は大詩人村野四郎(故人)。それに気をよくしてその後も2、3度応募したが、残念ながら再度の入選は果たせなかった。だが斎藤健一氏はずっとコンスタントに入選し続けていた。村野四郎氏の好みに合ったということもあったにせよ、その才能が頭抜けているのは素人目にも明らかだった。といっても美麗な詩句で読む者を魅了するというようなタイプの作風ではまったくない。それどころか… と説明しようとしてもどうも巧く言い表せないので、論より証拠作例をひとつ以下に。

    夏の港
  港には
  このごろ捨て犬が
  いっぱい集まってくる
  暑苦しい夏にみにくく汚れた犬が
  倉庫や黒い貨車の陰に
  群がっていた
  地面には
  不愉快な湿った風が吹き
  うずを巻いて
  埃を舞いあげていた
  西日が
  その土埃や石炭くずにあたり
  ときどき
  ぎらぎらと光ってみえた
  病人のように胴のふくれた大きい犬が
  ぬれたねずみの
  死がいをくわえて歩いていて
  じっと私の方を
  見ていた

こういうふうに素朴でストレートで即物的な言葉によって暗くやりきれないような風景を切りとるように書くのがこの人の詩だ。但し即物的と言っても単なる所謂〈写生〉ではなくて常に作者自身の暗い心象が重ねられるまさに〈心象風景〉と言える詩だ。舞台はこの詩のように新潟港とか工場街とか、主に新潟市近辺の荒涼とした雰囲気の場所が多い。〈病〉〈死〉等の言葉が多く、長期の療養生活を強いられていたらしいことがもろに窺えた。そういう暗く凄絶な詩が当時(70年代)は時代の雰囲気にも合っていたような気がする。といっても時代自体がそんなに暗い感じだったろうかというとよく判らないのだが… とにかくこんな詩を書いていながら斎藤氏は当時まだ20歳を過ぎて間もない頃だったらしいから驚く。で、今どうしているんだろうと検索してみたところ、なんと依然地元新潟市で詩人として知られているようで、つい昨年も〈にいがた市民文学〉というイベントで公募詩の審査員をしているし、少し前は写真展の企画をしてこんな文章を寄せたりもしていた(↓サイト中の下段・BAKU斉藤写真展)。
http://niigata-eya.jp/eya2009/0909.htm
また『穀物』という詩誌を編集していたとのことだが、現在も続いているのかどうかは判らない。上の『海岸の草』は1974年刊、作者の第一詩集で、印刷は新潟日報事業社となっているが発行者は斎藤氏になっているので自費出版であるようだ。
巻末の詩「橋の下」の結句に「私は病人であることが/美しいようにも思えた」とあるが、当時はこの詩人が描き出すそういう〈暗さ・やりきれなさの美〉とでもいったものに惹かれたのかもしれない。でも今読むと、懐かしいと言うより当時よりももっと妙な生々しさを感じてしまうのは、きっと自分が年をとってしまったせいだろう。




ところで上の写真の右のほうは野村英夫の詩集『司祭館』で、併せて触れようと思っていたが長くなり過ぎるので次の機会に回す。